ADHD(注意欠如・多動症)は現代において非常に広く認識されている神経発達症のひとつであり、教育現場、医療、福祉分野での対応が進んでいる。しかし、この概念がいかにして形成されてきたかという歴史的経緯については、あまり知られていないのが実情だ。実は、ADHDという言葉が生まれるはるか以前、20世紀初頭のイギリスにおいて、現在のADHD像に非常に近い子どもたちの行動特性を詳細に記述した人物がいた。
その人物こそが、小児科医ジョージ・フレデリック・スティル(George Frederick Still)である。彼が1902年に王立医学会(Royal College of Physicians)で行った講演は、当時としては画期的な視点を提示し、現代のADHD研究に大きな影響を与えた。この記事では、スティルの観察と彼の時代背景を掘り下げながら、ADHD概念の源流がどこにあったのかを科学史的にたどっていく。
1902年の講演:33人の子どもたちに見られた特徴
ジョージ・スティルは、小児の行動問題に関する「Goulstonian Lectures」と題した講演において、特定の行動特徴を持つ33人の子どもたちについて報告した。これらの子どもたちは、知的障害がなく、むしろ平均的あるいは高い知能を持っているにもかかわらず、社会的・教育的場面で問題行動を頻繁に起こしていた。
スティルが記録した主な特徴
- 他者の気持ちや規範を無視して行動する
- 感情や衝動を制御できず、突然怒り出したり、泣き出したりする
- すぐに気が散り、集中が持続しない
- 指示に従わず、注意を引こうとする行動を繰り返す
- 意図的ではないが、他人に迷惑をかけてしまう行動をとる
スティルは、こうした子どもたちの行動を「moral control(道徳的制御)の欠如」と名付けたが、彼が意味していたのは、単なる倫理観の欠如ではなく、自己制御機能の障害であったと考えられている。
「道徳的制御の欠如」とは何だったのか
当時のイギリスにおいて、「道徳」は社会規範や倫理的判断力と結びついた概念であり、「道徳的に劣った子ども」はしばしば非行や劣悪な養育環境の産物とされていた。しかし、スティルはその通念に挑戦し、「道徳的制御の欠如」は子どもの性格やしつけの問題ではなく、神経学的な制御機構の問題である可能性を示唆した。
彼は明確に「知的能力の問題ではない」と述べ、これらの行動が病的でありながらも、子ども本人の意志とは無関係に生じるものだと記している。この視点は、後の神経心理学における「実行機能(executive function)」という概念や、「前頭前野の働き」に関する知見と見事に一致している。
医学史におけるスティルの意義
スティルの講演内容は、1902年に『The Lancet』誌に掲載され、「子どもの異常心理状態に関する最初の医学的報告」として知られている。その重要性は、単なる行動の記述にとどまらず、それを医学的・神経学的な問題として捉えようとした姿勢にある。
当時、精神疾患は主に成人を対象としたものであり、子どもの行動異常に関する医学的関心は非常に限られていた。そのような状況下で、子ども特有の行動上の困難を詳細に観察し、「教育」「しつけ」だけでは説明できない生物学的基盤を考察したスティルの視点は、のちの児童精神医学の先駆けとなった。
ADHDという言葉がなかった時代に──スティルの先見性
「ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)」という用語が正式に採用されるのは1980年代に入ってからであるが、その約80年前にスティルが記録した行動パターンは、現代のADHD診断基準(DSM-5)にも驚くほど一致する。
たとえば:
- DSM-5における「衝動的に他者の話を遮る」「順番を待つのが苦手」「感情制御が難しい」などの記述は、スティルの症例記述にも共通する
- 「不注意による課題の失敗」「活動の切り替えの困難」といった特性も同様
つまり、スティルはADHDの中核的症状を、診断基準が整備される何十年も前に実地で観察していたと言える。
社会的支援への視点と教育的提案
スティルはまた、これらの子どもたちを単なる「問題児」として扱うのではなく、社会や教育の側が理解し、対応する必要があると提言していた。彼は、道徳的制御の欠如を持つ子どもに対して、懲罰的な対応ではなく、適切な環境と教育支援が求められると述べている。
これは、今日のインクルーシブ教育や特別支援教育の理念にも通じるものであり、スティルの先見性を示すエピソードのひとつである。
同時代の精神医学とスティルの立ち位置
20世紀初頭の精神医学は、フロイトによる精神分析の台頭や、クレペリンによる統合失調症(当時の早発性痴呆)と躁うつ病の分類など、急速に理論的整備が進められていた時期だった。
その中でスティルのアプローチは、精神分析的でもなく、単なる行動観察でもない、「神経発達的理解に基づく医学的記述」という独自の立場を築いていた。彼は子どもの行動を単に“社会的不適応”として切り捨てず、脳の機能に根差した現象と捉えていた点で、非常に先駆的である。
現代のADHD研究とスティルの貢献
近年の研究では、ADHDは脳の前頭前野を中心とする神経ネットワークの機能異常に関連しており、ドーパミンやノルアドレナリンといった神経伝達物質の働きが深く関与していることが明らかになっている。
スティルはこれらの科学的知見を持っていなかったが、彼の観察結果は、現代の脳科学が導き出した知見と合致しており、その経験的直感の鋭さは驚くべきものである。
結論:ADHDの“発見”者としてのジョージ・スティル
ADHDという診断名は20世紀後半に成立したものであるが、その概念の土台を築いたのは、1902年のジョージ・スティルによる講演だった。彼の観察と記述は、当時の社会通念に挑み、子どもの行動の理解に新たな地平を切り開いた。
現代に生きる私たちは、ADHDを「新しい障害」として捉えがちだが、実際には100年以上前からその存在は観察され、苦しんでいた子どもたちがいたことを忘れてはならない。スティルの業績は、発達障害の“歴史”を知ることの大切さを私たちに教えてくれる。
参考文献
- Still GF. Some abnormal psychical conditions in children: the Goulstonian lectures. The Lancet. 1902.
- Barkley RA. Attention-Deficit Hyperactivity Disorder: A Handbook for Diagnosis and Treatment. Guilford Press, 2015.
- Lange KW, Reichl S, Lange KM, et al. The history of attention deficit hyperactivity disorder. Attention Deficit and Hyperactivity Disorders. 2010.
- Raftery-Helmer JN, Nigg JT. ADHD as a neurodevelopmental disorder: historical roots and contemporary perspectives. Child and Adolescent Psychiatric Clinics, 2019.
- Rafalovich A. Disciplining the Deviant Child: The Role of the ADHD Diagnosis. Journal of Medical Humanities. 2001.