【ロボトミー手術】10年後の長期追跡調査が明らかにする精神疾患治療の実態【20世紀の医学】

【ロボトミー手術】10年後の長期追跡調査が明らかにする精神疾患治療の実態【20世紀の医学】 - Neuro Tokyo
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かつて精神疾患の治療法として医療現場で重宝されていた「ロボトミー手術(前頭葉切截術)」は、今日では医学史の一幕として位置付けられています。現在の視点から見ると倫理的・科学的に多くの問題を孕んでいた手法ですが、20世紀中頃においては、慢性的な精神障害に苦しむ患者の「最後の手段」として導入された治療法でした。

本記事では、1948年から1952年にかけて行われたカナダ・トロントの精神病院におけるロボトミー手術と、その10年後に実施された追跡調査の結果をもとに、術後の患者の生活、臨床的効果、再発率、合併症、さらには社会復帰の可能性について詳細に分析します。当時の医療背景や、現代の神経外科的治療との対比を通して、過去の治療法から現代医療が学ぶべき点についても考察していきます。

ロボトミーとは、脳の前頭葉と視床との神経回路を物理的に切断することで、精神症状や行動異常を軽減させることを目的とした外科手術です。19世紀末にスイスの精神科医G. Burckhardtが初めて実施したものの、その後しばらくは試みられませんでした。しかし1935年、ポルトガルの精神科医エガス・モニスがチンパンジーの前頭葉切除によって行動が穏やかになったという報告を受け、20人の慢性精神病患者に対して「前頭白質切断術(leucotomy)」を実施しました。

モニスは、この手術により精神的な緊張や衝動性の軽減が見られると主張し、1936年にはこの手法を広く公表。1949年にはノーベル生理学・医学賞を受賞しました。これをきっかけに、アメリカやイギリス、カナダなどでロボトミーが急速に普及。特に、治療に反応しない統合失調症や重度のうつ病患者に対して用いられるようになりました。

一方で、1940年代から50年代にかけて行われた大量のロボトミー施術により、人格の変化や知的機能の低下といった深刻な副作用が多数報告されるようになります。この時代のロボトミーは「希望」と「暴力」の両面を持ち合わせた治療法であり、その実態を理解するには長期的な追跡調査が不可欠でした。

本調査は、トロント大学精神医学教室とトロント総合病院の協力により1948年に開始されました。研究の目的は、慢性的な精神疾患に対してロボトミーがどのような臨床的効果を持つか、また長期的な社会復帰にどう影響するかを評価することにありました。

対象患者

1948年から1952年にかけて、150名の患者が前頭葉ロボトミーを受けました。患者は全員、既存の治療(薬物療法、心理療法)に反応を示さなかった慢性精神疾患の患者であり、平均入院期間は術前で約5年、罹患期間は平均9.6年でした。

術前には医学的、心理学的、生理学的な検査が徹底して行われ、術後は半年、1年、2年、4年、5年、10年の各時点で定期的なフォローアップが行われました。追跡調査の最終段階である1962年時点では、116人の患者が評価対象となりました。

評価指標

評価には、知的、情緒的、社会的、職業的な機能を10点ずつ評価する100点満点の独自のスケール(Point Rating Scale)が用いられました。スコアが40点未満であれば病院での継続的なケアが必要とされ、40点以上であれば病院外での生活が可能と判断されました。

追跡調査の結果、以下のような成果が得られました:

  • 退院可能となった患者は116人中78人(67%)
  • 26%の患者が退院後に再発し再入院が必要に
  • 術後6ヶ月で最大の改善効果が見られ、その後は概ね安定

この結果は、ロボトミーが一定数の患者に対しては有効な治療手段となったことを示しています。特に不安、罪悪感、自己非難といった強い情緒的症状を持つ患者には、情緒の緊張を和らげ、対人関係の構築を可能にする効果が見られました。

診断別に見ると、以下のような傾向が明らかになりました:

  • 統合失調症(85人):66%が退院可能になったが、再発率が比較的高い(39%)
  • 感情障害(21人):多くが社会復帰に成功し、再発も少なかった
  • 神経症・人格障害(10人):一部の患者に良好な反応が見られたが、サンプル数が少なく明確な結論は困難

ロボトミー術後の患者の生活状況は多様でしたが、以下のような特徴が浮かび上がりました:

  • 116人中70人(61%)が1962年時点で病院外で生活
  • そのうちの38%は職業的にも高い生産性を維持
  • 生活の安定度は、環境の予測可能性に大きく依存

研究者は、「人格障害」とみなされる変化(感情の鈍麻、柔軟な思考の困難など)によって、患者が安定した環境では比較的順応できる一方で、突発的な変化には対応しづらい傾向があると述べています。

術後も再治療を必要とした患者は以下の通りでした:

  • 45人(39%)が追加の治療を受ける必要あり
  • 薬物療法(主にフェノチアジン系)で10人に有効な改善
  • 電気けいれん療法(ECT)は限定的な効果に留まる

また、一部の患者には2回目のロボトミーが試みられましたが、効果は乏しく、ロボトミー単独での治療には限界があることが明確になりました。

ロボトミーの合併症は以下の通りです:

  • てんかん:術後6%(最終的には14%まで上昇)
  • 脳出血:3%
  • 脳膿瘍:5%
  • 認知障害や痴呆:5%

これに加え、術後長期にわたるパーソナリティの変化が多く報告されており、患者の91%に感情の平板化、抽象的思考の欠如、刺激への反応の遅れが見られたとされています。

この追跡研究は、ロボトミーがかつては精神医療の一手段として位置付けられていた事実を示すとともに、現代において「外科的精神治療」を再評価するための材料ともなります。

現在では、薬物療法(抗精神病薬、抗うつ薬など)や認知行動療法、対人関係療法などが主流ですが、極めて治療抵抗性の高い症例に対しては、**脳深部刺激療法(DBS)**のような可逆的かつ選択的な神経外科的治療法が研究・導入されつつあります。

ロボトミーという治療法は、倫理的・科学的観点からも多くの議論を呼びながら、その時代においては限られた選択肢の中で生み出されたものでした。本研究が示したのは、決して単純に「成功」や「失敗」とは割り切れない複雑な臨床の現実です。私たちはその歴史から、治療の有効性だけでなく、患者の尊厳や長期的な生活の質に焦点を当てた医療のあり方を再考する必要があります。

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