【冷蔵庫マザー仮説】自閉スペクトラム症(ASD)をめぐる誤解の歴史

【冷蔵庫マザー仮説】自閉スペクトラム症(ASD)をめぐる誤解の歴史 - Neuro Tokyo
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自閉スペクトラム症(ASD)は、現在では神経発達症の一つとして認知されており、早期診断と支援の重要性が広く知られるようになっています。しかし、その診断と理解の歴史は決して直線的ではなく、時に誤解と偏見に満ちたものでした。とりわけ20世紀中葉に登場した「冷蔵庫マザー仮説」は、科学的根拠が乏しいにもかかわらず一時期広く受け入れられ、ASD当事者の母親を過度に非難する社会的風潮を生み出しました。

本稿では、この冷蔵庫マザー仮説がどのように生まれ、医学的・社会的にどのような影響を与えたのか、またその後の科学的反証によって診断の枠組みがどのように再構築されたのかを詳細にたどっていきます。あわせて、ASD診断の基準がいかに進化してきたかを振り返りながら、過去の誤解を今後にどう活かすべきかを考察します。

ASDの診断史を語るには、まず「自閉症」という用語の起源に触れる必要があります。1943年、アメリカの児童精神科医レオ・カナー(Leo Kanner)は、論文「Autistic Disturbances of Affective Contact」において、11人の子どもに共通する特徴として、社会的相互作用の困難さ、言語の異常、こだわりの強さなどを報告し、これを「早期幼児自閉症」と命名しました。

同時期にオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガー(Hans Asperger)も、カナーとは別に似た特性を持つ児童について研究を行っていましたが、その業績が国際的に知られるようになるのは1980年代以降です。これらの研究は、自閉症が生育環境ではなく、先天的な神経発達の違いによるものであることを示唆していましたが、社会的には異なる解釈が広がっていきました。

1940〜50年代の精神医療は、フロイトに始まる精神分析理論の影響を強く受けていました。そこでは、心の病の原因を家庭環境、特に親子関係に求める傾向が強かったのです。その文脈の中で、アメリカの精神科医ブルーノ・ベテルハイム(Bruno Bettelheim)が提唱したのが「冷蔵庫マザー仮説」です。

ベテルハイムは、自閉症の子どもを収容する施設「オーソジェニック・スクール」の運営者として知られ、1967年に出版された著書『空の砦(The Empty Fortress)』において、「自閉症の子どもたちは、冷たく、感情のない母親によって心を閉ざされた」と主張しました。彼は母親の無意識的な拒否が、子どもの情緒的発達を阻害すると論じたのです。

この仮説は、臨床的なデータに基づいておらず、科学的検証を経ていないにもかかわらず、当時の精神分析的な潮流と親和性が高かったため、教育界・医療界、さらには一般社会に広く浸透していきました。

冷蔵庫マザー仮説の浸透は、当事者家族、とりわけ母親に大きな心理的苦痛を与えました。診断を受けた際、「あなたの育て方が原因ではないか」「もっと愛情を注げば改善するのでは」といった言葉を投げかけられることが日常的にあったのです。

このような非難は、母親の自己肯定感を著しく損なったばかりか、家庭内の関係性にも悪影響を及ぼしました。また、支援の場においても母親への「再教育」や「育児指導」が優先され、子どもの個別支援は二の次となるケースが多く見られました。

さらに、医療・教育の現場ではASDが「治すべき心の病」と捉えられ、行動療法や感情表現の訓練といった方向に偏重した支援が行われる傾向がありました。その結果、当事者自身の特性理解や自己決定が十分に尊重されない状況が続いていたのです。

1970年代以降、神経科学や行動遺伝学の発展により、自閉症が親の育て方ではなく、生物学的・遺伝的要因によって生じることが明らかになっていきました。たとえば、一卵性双生児の一致率が高く、遺伝的素因の強さを示す研究が多数発表されています。

また、脳波(EEG)、脳画像(MRI、fMRI)研究により、ASD児は特定の脳領域、特に社会認知に関与する部位において活動異常が見られることが報告されました。これらの知見は、自閉症が「育ち方」ではなく「脳の発達差異」に起因することを裏付けるものとなりました。

神経心理学の分野でも、実行機能(自己制御・注意制御)の特性、感覚過敏・鈍麻の存在など、ASDに特有の認知的特徴が明らかとなり、こうした知見により診断・支援の枠組みが徐々に刷新されていきました。

1980年に発表されたDSM-IIIでは、自閉症が「幼児期発症の広汎性発達障害」として独立した診断項目に位置づけられ、診断の基準も明文化されました。これにより、精神分析的な解釈ではなく、行動観察に基づく診断が主流となっていきました。

さらに1994年のDSM-IVでは、アスペルガー障害や小児期崩壊性障害など、より細分化された分類が導入され、発達障害に対する理解の深化が進みました。

2013年のDSM-5では、それまでの分類を統合し「自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder)」という包括的な概念が導入されました。これにより、知的発達、言語能力、社会的機能における個人差を連続体として捉えるという「スペクトラム」モデルが確立されました。

この一連の診断基準の進化は、ASD理解の根拠を精神分析から科学的実証へと移行させた象徴であるといえます。

冷蔵庫マザー仮説は、現在では明確に否定されていますが、その影響は未だに完全には払拭されていません。ASDの診断を受けた際、親が「何か自分のせいではないか」と自責の念に駆られることは珍しくなく、また周囲からの無理解や偏見も根強く残っています。

医療や福祉、教育の場では、科学的知見に基づく対応が求められる一方で、過去の「親のせい」という言説の記憶が薄れない限り、当事者家族は常に社会的な目を気にしながら支援を求めることになります。

このような背景を踏まえると、ASDに関する啓発活動や専門家の研修において、単に知識を更新するだけでなく、診断の歴史における誤りとその影響を振り返る視点も必要とされているといえるでしょう。

冷蔵庫マザー仮説は、ASDの診断と支援の歴史において、もっとも深刻な誤解の一つでした。その誤解が生まれ、広がり、そして科学的に否定されていく過程を理解することは、今後の支援の質を高める上で極めて重要です。

今日の診断や支援は、神経科学や心理学、教育学など多様な領域の研究成果に基づき、当事者の多様性と尊厳を尊重する方向へと進んでいます。しかし、その歩みを確実なものとするには、過去の誤解に学び、同じ過ちを繰り返さないという決意が必要です。

診断の歴史は、単なる医学の進歩を示すものではなく、社会の認識、価値観、偏見の反映でもあります。だからこそ、科学的根拠に基づいた理解を広めることと同時に、歴史的な教訓を語り継ぐことが、より良い未来への鍵となるでしょう。

  • Bettelheim, B. (1967). The Empty Fortress. Free Press.
  • Kanner, L. (1943). Autistic Disturbances of Affective Contact. Nervous Child, 2, 217–250.
  • Rutter, M. (1978). Diagnosis and Definition of Childhood Autism. Journal of Autism and Childhood Schizophrenia, 8(2), 139–161.
  • Volkmar, F. R., & Klin, A. (2005). Issues in the classification of autism and related conditions. In Autism: A neuropsychological approach, 2nd ed. Cambridge University Press.
  • American Psychiatric Association. (1980). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (3rd ed.).
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