【ADHD診断に革命か?】脳波×HDCが切り拓く新しいADHD診断

【ADHD診断に革命か?】脳波×HDCが切り拓く新しいADHD診断 - Neruro Tokyo
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ADHD(注意欠如・多動症)は、子どもから大人まで幅広い人に影響を与える神経発達症の一つです。集中力が続かない、忘れっぽい、じっとしていられない、思いついたことをすぐに行動に移してしまうといった特徴が見られますが、これらは性格や育ちの問題と誤解されることも少なくありません。

実際の診断には、医師による問診や心理検査、保護者や教師からの報告が用いられます。しかしこれらの方法は、評価する人の経験や主観に影響を受けやすく、「どこまでが個性で、どこからが障害なのか」という線引きがあいまいになりがちです。また、診断を受けるまでに時間がかかったり、住んでいる地域によっては専門の医師が少ないため、適切な支援につながるまでに困難を伴うことがあります。

そのような状況の中で、より客観的で信頼できる診断手法を求める声が高まってきました。脳の活動を直接測定する「脳波(EEG)」と、次世代の人工知能である「ハイパーディメンショナル計算(HDC)」を組み合わせた研究は、まさにその答えの一つになりうる可能性を秘めています。

今回注目する研究は、2025年にローマ大学の研究チームによって発表されたものです。この研究の目的は、EEGという脳波の信号をHDCという新しいAI技術で解析し、ADHDの有無を高精度で判別できるかどうかを検証することでした。

従来、AIを使って脳波を解析する試みは多数行われてきました。しかし、多くのモデルはディープラーニングと呼ばれる複雑な技術を使っており、大量の学習データが必要だったり、高性能なコンピューターがなければ解析できなかったりと、医療現場に導入するにはハードルが高いものでした。

そこで研究チームは、より軽量で効率的に働くHDC(ハイパーディメンショナル計算)という技術に注目しました。HDCは、人間の脳が情報を処理する仕組みにヒントを得た技術で、数千次元という非常に大きな空間でデータを表現・処理するのが特徴です。

この技術は、ノイズや誤差に強く、少ないデータでも正確な判断ができるという性質を持っています。研究では、HDCをEEGに適用することで、ADHDのある人とない人を88.9%という高い精度で分類することに成功しました。

研究チームは79人のデータを使って検証を行いました。被験者は目を開けた状態で静かに座っているだけでよく、その間に脳波が記録されました。これは「開眼安静時EEG」と呼ばれるもので、特別な作業や認知課題を必要とせず、被験者にとっても負担が少ない方法です。

脳波は、時間的にも空間的にも変化する非常に複雑な信号です。そのため、これを有効に活用するためには高精度な前処理と解析が必要ですが、HDCはこの点でも力を発揮しました。EEGの信号は、HDCによって数千次元のベクトルへと変換され、情報を圧縮しながらも本質的な特徴を保持するかたちでAIに入力されました。

さらに驚くべきことに、このモデルは79人のうち、わずか7人分のデータだけを学習させた場合でも同じ88.9%の精度を出すことができたのです。これは、通常必要とされる大量の教師データがなくても、十分な精度で予測ができるということを意味します。

この成果は、特に医療リソースが限られた地域や、小規模な診療所などでの活用に期待が持てるポイントです。少人数のデータでも診断補助が可能なら、より多くの場所でこの技術を導入できるからです。

HDCの最大の特徴は、従来のAIと比べて「雑音に強く、少ない情報からでも本質を見抜ける」点にあります。一般的なAIは、例えば画像や音声の認識では力を発揮しますが、脳波のように微細で変動の多い信号には不向きなこともあります。

一方、HDCは多次元空間を使うことで、似たようなパターンを一つの集合として扱うことができます。これにより、個々の違いにとらわれすぎず、「全体としての傾向」や「特徴の分布」を捉えるのが得意です。

また、HDCは演算量が少なく済むという点でも優れています。高性能なGPU(画像処理装置)を必要とせず、ノートパソコンや組み込みデバイスでも稼働できるため、医療現場における導入のハードルを下げる要因になります。

こうした技術が医療現場で使えるようになれば、ADHDの診断に大きな変化が訪れるかもしれません。現状では、医師の経験や主観に左右されやすい診断が、数値化された脳波データとAIの解析によってより明確で公平な判断につながる可能性があります。

特に、診断の入り口にあたるスクリーニング段階での活用が考えられます。学校や職場で、「この人はもしかしてADHDかもしれない」と思ったとき、手軽に脳波を計測し、事前に簡易な評価を受けることで、専門機関への橋渡しがスムーズになります。

また、診断結果を本人や保護者が受け入れるうえでも、AIによる客観的なデータは大きな助けになります。「なぜこの診断結果になったのか」を視覚的に示すことができれば、納得感が生まれ、その後の支援や療育にも良い影響を与えるでしょう。

この技術がさらに発展すれば、ウェアラブルデバイスとの連携が現実になる可能性もあります。たとえば、EEGを計測できるヘッドバンド型の装置とスマートフォンのアプリを組み合わせて、日々の注意力の変動を可視化したり、ストレスの影響を把握したりするツールが登場するかもしれません。

これは、ADHDを持つ人が自分自身の状態を客観的に理解する手助けになります。学校や職場でも、個々の集中力の波を把握しながら、その日のスケジュールや対応方法を調整することが可能になるでしょう。

さらには、治療効果のモニタリングにも役立つかもしれません。薬を服用した前後で脳波のパターンがどう変わるのか、HDCを使って客観的に記録できれば、医師と患者が一緒に治療の効果を確認しやすくなります。

とはいえ、すぐにすべての病院や学校でこの技術が使えるようになるわけではありません。今回の研究もまだ予備的な段階であり、対象者の数が限られている点は考慮する必要があります。また、ADHD以外の神経発達症や精神的な問題を持つ人との区別がどこまでできるのか、さらなる検証が求められています。

さらに重要なのは、「AIの判断結果を人間がどう理解し、説明するか」という点です。医療現場では「説明責任」が非常に重視されます。たとえAIが正しい判断をしたとしても、それを人に説明できなければ意味がありません。

この問題に対応するためには、AIが導き出した判断の「理由」や「根拠」を人間にも理解できるかたちで提示する「解釈可能性(explainability)」が求められます。今後は、そうした仕組みを取り入れた設計が必要になるでしょう。

今回の研究は、脳波と人工知能という二つの異なる分野の融合によって、新しい診断技術の可能性を切り拓いた点で非常に意義深いものです。とりわけ、少ないデータでも高精度な判断ができること、処理の高速性、導入のしやすさといった特性は、医療や教育、福祉の現場での実用化を強く後押しするものとなるでしょう。

今後さらに研究が進み、より多くの実例や検証結果が蓄積されていけば、この技術は実際の診断支援ツールとして本格的に使われるようになるかもしれません。そして、それが当事者の早期発見と支援につながり、より生きやすい社会を実現する一助となることが期待されます。

Neuro Tokyoでは、こうした最先端の研究成果をわかりやすく解説し、当事者や支援者、教育関係者の皆さんに届けることで、科学と生活の距離を少しでも縮めていきたいと考えています。

Colonnese, F., Rosato, A., Di Luzio, F., & Panella, M. (2025). Hyperdimensional Computing for ADHD Classification using EEG Signals. arXiv preprint arXiv:2501.05186.
ADHDの脳波をEEGとして取得し、HDCを活用することで88.9%の診断精度を達成した主要研究です。少ない学習データ(7人)で高精度を実現した点も画期的です。arXiv+9arXiv+9Google Scholar+9

Kanerva, P. (2009). Hyperdimensional computing: An introduction to computing in distributed representation with high‑dimensional random vectors. Cognitive Computation, 1(2), 139–159.
HDC(ハイパーディメンショナル計算)という技術の基礎的解説。今回のADHD研究で用いられた手法の理論的背景にあたります。ウィキペディア

Lohani, D. C., Chawla, V., & Rana, B. (2025). A systematic literature review of machine learning techniques for the diagnosis of ADHD from MRI and EEG data. Neuroscience. Advance online publication.
EEGを含む脳データと機械学習を活用したADHD診断の現状を広くレビュー。今回の研究成果を位置づけるうえで重要です。PubMed

Abramov, D. M., Lima, H. S., Lazarev, V., et al. (2024). Identifying ADHD through the electroencephalogram complexity. arXiv preprint arXiv:2403.14799.
EEGの「複雑性解析」を用いてADHDを識別する研究。ADHDとEEGを結びつける別方向の研究として参考になります。

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